ラッキーとレオと一緒に暮らし始めて、もうすぐ2回目の冬を迎えます。
小さなころから動物を飼うのには興味があったけれど、実際に飼ったことはありませんでした。唯一家には、姉が科学部の実験で使ったあとの金魚が巨大化していて、父が一人で面倒をみていました。 (あれは実験のせいであんな巨大化したんだろうか・・・。オネーチャンったらなんの実験したの、一体・・??)
そういえばまだ幼稚園に入る前、知り合いにもらったヒヨコがもうすぐ鶏になりかけってところまで大きくなったことがありました。 お昼ごはんの前に、ワタシはその子が入ってるダンボールをのぞいていて、おばあちゃんに「ご飯よ~」と呼ばれて「は~い」とタタタタッ!と食堂へかけて行ったその時、
ばさばさばさばさ・・・っっ!!!
という音がして、ワタシは来た方向を振り返りました。
「何?なんの音?」
幼稚園前のワタシには見当もつきません。そばにはちょっと悲しい顔をしたおばあちゃんがダンボールの方を見ていました。 それでワタシはダンボールの方へ行き、中を覗くと・・・。 数枚の白い羽だけを残して、鶏になりかけのヒヨコはいなくなっていました。
「猫だね・・・」
おばあちゃんがぼそりと言いました。 一瞬にして、ついさっきまでそこにいた子がいなくなったというのは衝撃で、まだ死とかいうことがよくわかっていないワタシの脳裏にその場面が焼きついています。
ラッキーをなでていると、その暖かい体を感じるたびにちょっと切なくなることがあります。
レオが完全に気を許してワタシのひざで丸くなりながら手を胸や腕にのせてきたときに、感じるぬくもりに涙が出そうになることがあります。
この子たちは確実にワタシより先にいってしまうんだ・・・
鬼も笑えないくらい先のことだけれど、でも必ずやってくるその時を思うと胸がしめつけられます。 今感じてる、このほんわりとしたぬくもりがなくなってしまう時が来る。 どうしようもできないことだけれど、どうしようもできないだけに、ただただ悲しくなってしまいます。
秋から冬へ向かうこんな季節は、小さなぬくもりもじんわりと感じることができるので思わず切ない思いをめぐらせたりして。 ダラスの夏は暑いからぬくもりに気持ちがじんわりなんて感じられないですもんね。(^^ゞ
そういう動物飼いの心を慰めるお話に
虹の橋というものがあります。あまりにも有名なのでご存知の方もたくさんいらっしゃるでしょう。 甘すぎる、ファンタジーすぎると嫌う人もいますが、私はこのお話好きです。 興味がある方はどうぞリンクをのぞいて見てくださいね。
さてさて、こんなメランコリックになってるワタシにお構いなく、ラキレオは今日も自由です。
手に噛み付くのは”遊ぼうよ”という意思表示らしい。痛がって”やめて”なんて言うと”よし!やろうぜ!”のサインなんですって。じゃあ、どうしろっての??
きれいな花壇とラッキーを撮りたかったのに・・・。ラッキーったら・・・。(-_-;) 花壇の持ち主さんごめんなさい。 でも散歩前は裏庭でトイレしてから行くのでほとんど出てないんです。(汗)
実際、彼らのその態度って真理のような気がするな。
先に何が起こったって、今できることはわが道を行くのみ。気に病んだって仕方ない。
いつもCちゃんと話してることだけれど、本当に彼らは人生の師だと思うな。
見習うところがたくさんあります。
----English Version-----
We will have second winter with Lucky and Leo soon.
I was interested in having a dog or a cat when I was a kid, I had never had any animals with me. Almost only one my family had was a huge gold fish which my sister took him home from her Science club. I still wonder why he could be so huge. Because of her experiment...???
I remember there was a chick which would be a hen very soon at home when I was very little. I think it was when I was before preschool. I was looking at the chick in a box, and my grand mother called me for a lunch and I started to go to the nook. Then suddenly I heard the flapping sound from my back and I turned around. I couldn't guess what it was because I was too little. My grand mother was watching at the direction of the box, and I went to the box to look at it. There were a few feathers left and the chick was gone. "It must be a cat..." My grand mother said very quietly. I was too little to understand death at that time, but the scene was imprinted on my mind.
When I feel Lucky's warmth during petting him, or when I feel Leo's body temperature during he was putting his paws on my arms, sometime I feel pain in my heart. Because I remember the fact that
They surely will gone before I will.
I cannot do anything about it, and because I cannot do anything about it, I feel pain. Thinking about losing them makes me so sad.
At this season we can feel very little warmth very well, and it becomes a trigger to make me melancholic, maybe.
Meanwhile Lucky and Leo are very free from those thoughts. They are going their way always.
Actually that IS the truth, I guess.
Despite anything will happen in the future, we go our way.
They know very well about what we should do now, don't you think?